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2026.03.12

震災から15年。『明日はあるのか』から始まった、私たちの挑戦。

2011年3月。

あの日から、15年が経ちました。



震災は多くのものを奪いました。

町の風景も、人の暮らしも、そして当たり前だった日常も。



しかし私たちにとって、あの震災は単なる災害ではありませんでした。

生き方を変え、会社の方向を変えた出来事でした。


「食べ物がない島がある」

震災直後のある日。

空港からの帰り道、車のラジオからこんな話が流れてきました。



奥松島の宮戸島。

余震の影響で物流が止まり、食料が届かなくなっているというのです。



山形から毎日弁当を運んでいた業者も、余震で来られなくなった。

宮戸島の人たちは食べ物がない。

その時、ふと思いました。



「この国で、飢えるなんてことがあるのか。」



そう思った瞬間、

会社にあった訪問車両に米やお菓子、チョコレート、飴を積めるだけ積み込み、

新入社員と2人で、宮戸島へ向かいました。


道なき道を走る

宮戸島へ続く道は、もう普通の道ではありませんでした。

瓦礫に覆われ、橋は水没し、

自衛隊が仮の桟橋を作っている。



それでも進みました。



自衛隊が通れるように作ってくれた道を頼りに、

道なき道を進むように車を走らせました。

夕方、ようやく避難所にたどり着きました。

そこにいた人たちは、宮戸島の住民でした。



私たちは何も言わず、

米や食べ物、子どもたちのお菓子を置いて



「食べてください」



それだけ言って帰ろうとしました。

すると漁師さんたちから呼び止められました。



「名刺だけでも置いてってくれ」



でも名刺は持っていない。

仕方なく、紙に住所と名前を書いて置いてきました。



後日届いた、一枚の感謝状



それからしばらくして、

東松島市から一通の封筒が届きました。

中に入っていたのは、感謝状でした。



あの時は、ただ

「食べ物がない」と聞いて動いただけ。

そんな小さな行動が、

誰かの記憶に残っていたことを知りました。


会社は「基地」になった

震災直後、スタッフの多くは家に帰れませんでした。



電気がない。

水がない。

ガソリンがない。



そこで会社に布団を敷き詰め、

スタッフ20〜30人が寝泊まりする共同生活が始まりました。



水を確保する班

食料を調達する班

訪問に向かう班



特に女性の一人暮らしのスタッフにはこう言いました。



「アパートには帰るな。ここにいろ。」



ここなら

ご飯だけは食べられる。

その生活が、1か月ほど続きました。



ガソリンを取りに行った日



当時、一番足りなかったのはガソリンでした。

訪問車両を動かす燃料がない。

そこで私は、バイクで宮城県庁へ向かい、

震災対策本部に乗り込みました。



「緊急車両の許可証をください」



病院ですら燃料が足りない状況。

簡単にはもらえません。

それでも言いました。



「在宅の患者も命がけなんだ」



激しいやり取りの末、

県知事印の緊急車両許可証を手に入れました。



その許可証で高速道路に入り、

サービスエリアに残っていたガソリンを回収しました。



軽自動車にガソリン缶を山ほど積んで、

うねる高速道路を走る。



横を自衛隊の巨大車両が通るたび、

後ろでガソリンが揺れる。



「これ爆発したら終わりだな」



そう思いながら、何度も往復しました。

その燃料で、会社の車両だけでなく

周囲の医療機関とも分け合いながら乗り切りました。


震災が変えたもの

震災前、私はこう考えていました。



「医療と介護をしっかりやればいい。」



しかし震災は、それだけでは地域を守れないことを教えてくれました。

被災地を歩くと、

地域によって復興のスピードはまったく違う。



そして福島第一原発事故。



その時、強く思いました。



「明日は本当にあるのか」


もしものための場所

福島の状況がどうなるかわからない時期。



社員とその家族を守るため、

青森の十和田に避難できる場所を用意しました。



80人ほどが生活できる家です。

もし何か起きたら



「十和田インターで会おう」



そう決めていました。


会社の役割は変わった

震災をきっかけに、

会社の考え方は大きく変わりました。



医療と介護だけではなく



・地域の産業

・仕事づくり

・物流

・人がつながる仕組み



そうした地域の基盤を支えることも必要だと考えるようになりました。



その時に生まれた構想が、

現在の多くの事業の原型になっています。


15年経って思うこと

この15年、順風満帆ではありませんでした。



失敗もありました。

無駄だった挑戦もあります。

裏切られたこともあります。



それでも今、

私たちはこの地域で事業を続けています。



それはきっと、

多くの人に支えられてきたからです。



私たちが続けている理由


震災から15年。

あの日から、私たちのテーマは変わっていません。



「確かな明日はあるのか」



もし確かな明日が見えないなら、

自分たちで作るしかない。



だから私たちは、

この地域で挑戦を続けています。



未来のために。


代表取締役

千葉博信

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